異文化きょうせいには、まず、自文化きょうせいを考えること ——聴/ろう舞台との思い出——
- SHU
- 14 時間前
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私たちはそれぞれ、どのような違う世界を生きているのか。
そこに、どのような時間、どのような身体、どのような文化があるのか。
2025年11月29日(土)、東京文化会館で上演されたろう者と聴者が遭遇する舞台作品『黙るな 動け 呼吸しろ』(https://duk-tokyoforward2025.jp)に小さな役割ではあるが関わらせていただいた。そして、その振り返りトークイベントが2026年1月28日に東京藝術大学で開催された。
このプロジェクトの構成・演出を務めた牧原依里さんが、振り返りトークイベントのファシリテーターを担当した。あたたかく、親しみやすく、エネルギッシュで、強いリーダーシップと創造性を感じさせる人柄である。牧原さんが手話で語り出すと、その場の時間は音声ではなく手話のリズムにそろっていった。周囲の雑音は自然と消え、私たちは皆、牧原さんの生き生きとした言語に集中した。牧原さんがイベントの流れを説明し、手話で語り始めたその瞬間、さまざまな記憶がよみがえった。かつて自分も小さな役割を担い、その稽古に参加したのは本番の約6週間前だった。その世界の一部として関わったこと、共に創っていったその舞台のことを思い出した。
手話は、少し異なる速度で進む世界を立ち上げる。身体とともに、呼吸とともに流れていく時間だ。一方で、聴者中心のこの世界は、常に先を急いでいる。身体が追いつく前に声を発し、口から出る言葉やアイデアを優先する。音が先にあり、身体は後からついてくることが多い。私たちはいつのまにか、自分自身の身体の時間性、体温や、内臓のリズム、心臓の鼓動を忘れてしまっているのかもしれない。もちろん、手話話者がすべてを解明しているわけではない。それでも、稽古のなかで、ろうの出演者が聴者の出演者よりも素早く身体とつながっていく姿を、私は確かに見ていた。
稽古は主に、聴者とろう者で分かれて行われていた。音やカウントに反応することが、いかに聴者の経験に深く組み込まれているかを実感した。制作側はそれを「聴者文化」と呼んでいた。「文化」という言葉から、現在の日本の社会状況が思い浮かぶ。「日本を守る」「ジャパン・ファースト」といった言葉が、繰り返し語られている。しかし、守るべき「日本」とは何なのだろう。それは誰から、何から守られなければならないのか。もしそれが「日本文化」だというのなら、なぜそれは脅かされていると感じられているのか。
自分たちの「文化」とは何かを理解することは、不安を和らげる手立てになるのではないだろうか。自らの文化に確かな手応えがあれば、それが容易に奪われるという恐れも、少しは小さくなるかもしれない。
ろう文化は豊かで多様だ。光や動き、視覚的なシグナル、身体のリズム、そして腕や身体、顔、頬、鼻、眉によって伝えられる言葉に満ちている。ものすごくおんがく的である。
音楽や音を愛し、それらを通して動く聴者文化についても、もし私たちが自覚的に理解しようとすれば、この文化とは異なる深い層をもつ多様な文化の存在が見えてくる、きこえてくるだろう。
本来「文化」であるはずのものが、いつのまにか「規範」となり、誰もが同じ身体を持ち、同じように音を聞くという思い込みと、前提のもとに世界が築かれている。その規範を解きほぐすためには、文化の一つとして捉え直し、そのよいところ、悪いところ、良くわからないところを考え、他の文化と並び立つ、別個の存在として認める、それぞれ異なる力や可能性があると考える必要があるのではないか。それこそが本当の意味での「異文化共生」ではないだろうか。まず、自分の文化に根付いているものを批判するなり、楽しむなり、ちゃんと、向き合う姿勢をもつことではないだろうか。

『黙るな 動け 呼吸しろ』(2025)集合写真 撮影:加藤甫
稽古に入る前のオリエンテーションでは、キャスト全員が順番に名前を紹介した。日本手話における拍手は、両手をくるくると回す表現で示される。私は思わず手を叩きそうになったが、ろうの方が自己紹介をしたときには、礼儀として手を振った。「聴者らしい」動きやダンスを創ろうとしたときの議論を思い出す。聴者という「マジョリティ」であるということの難しさは、どの場面でもそうだがマジョリティが自分たちをマジョリティだと自覚しにくい点にある。それは、人種やセクシュアリティや障がいの有無もそうだけど、自らの特権や権限、当然のようにアクセスできる世界があることに気づきにくい。だからこそ、マジョリティは自分たちの「文化」についてあまり意識しないし、気にも留めないことが多い。健常者文化、異性愛中心の文化、母語話者文化——それらは埋め込まれ、前提とされているからである。都合よく、すでにそういう世界できているからだ。それはつまり、日常で行うようなマナーや習慣は、「ある人」の身体のもとで作られている。日本においては、それは30代の異性愛者の健常者の男性である。その男性たちには、文化があると私は思う。それは決して悪いことではないない。だが、その人中心で社会が動くことは、つらい。そのせいで、生理の話は変に思われることもあったり、恋人が同性だとびっくりされることがあったり、あらゆる場所にはエレベーターがないことを気づかなかったりする。他の身体を想像する仕組みができていないからだ。
マイノリティへの真の配慮は、まず自分自身の生活のなかで、どのような背景や前提が当然のものとされているのかに気づくことから始まるのではないだろうか。そして、その文化的背景や育ちのなかで大切にしているものを理解することから始まるのではないか。無意識のうちに行っている行為や、あえて言葉にしなくても通じている前提を見つめ直すことから。
印象的だったのは、牧原さんが情熱的に語った「私は聴者文化を知らない」という言葉である。というのが、ちゃんとマジョリティでマジョリティの文化や習慣を考えてきてほしいということだと思う。それはたとえば、振付や段取り、場面づくりの際、聴者の俳優はカウントや音楽、メトロノーム、「1、2、3、4」といった音によって動きを揃えることに慣れている。一方、ろうの俳優は音楽に頼るのではなく、周囲の身体の感覚により敏感に同調していく。
大切なのは、互いの文化を無理に合わせることでも、統合することでもない。違いを違いとして認め、それぞれが歴史と厚みをもつ独立した存在として尊重することではないだろうか。誰かが自分の地域や言語、コミュニティの歴史を分かち合ってくれるなら、私は心から喜んで耳を傾けたい。しかしそのためにはまず、自分自身の内側を見つめ、これまで育ってきた環境のなかにある繊細さや困難、豊かさとその苦労や特権を含めて理解する必要がある。

『写真で語り継ぐ 昭和のろう者たち』写真展
このプロジェクトの期間中に、『写真で語り継ぐ 昭和のろう者たち』という手話&ろう博物館主催の写真展を訪ねた。そこから、ろうの歴史の一部について学んだ。それは「日本」とは異なる歴史であった。たとえば、1960年代、一般の学校ではスポーツが男女別だったのに、聾学校では男女一緒だったこと。1953年、皇室の方が口話の授業は見学しても、手話の授業には来なかったこと。戦後、ろう者のための朝鮮学校はなく、親の願いや言語や文化を譲って日本の聾学校で学ばざるを得なかったこと。木工や被服などの細やかな仕事を得意として、誇りを持ってかっこよく生きてきたこと、などなど。そして私は、日本史に関する展示や博物館で、はっきりと日本の支配の歴史が書かれているのを初めて見た。例えば、「日本は台湾や朝鮮を植民地として支配し、昭和の初めには満州を占領して満州国を立しました」といったように。手話が禁止されていたことを経験した消滅を迫られた文化は、自ら他者や歴史を消すような真似はしない。ろう日本史は、豊かで、痛みと誇りに溢れている、不屈で、不可視化されてきた、日本の歴史ときちんと向き合おうとしている「もう一つの日本」だ。この展示を通してほんの少しその歴史に触れることができて、本当に良かった。
どの言語が、どの歴史が存在することを許され、なにが排除されてきたのか。
どのような時間、どのような身体、どのような文化があっていいのか。あってはならないのか。
「日本文化を守る」というとき、私たちはその言葉が何を排除してきたのかに慎重であるべきだ。それでも、日本文化を楽しみ、発見し、そこに居場所や喜び、意味や悲しみを感じてきた瞬間は確かにある。生きるなかで感じる理由や絶望、哀しみも含めて。
文化に根付いている言語や音楽は感情を伝えるためのものではないか。他者へ向けて、そして自分自身へ向けて。そのあいだにある、複雑でおかしみのある混ざり合いのなかで。このプロジェクトは、ろう音楽を探究する第一歩だと、ドラマトゥルク担当の1人の雫境さんは語っていた。ろうのクリエイターが創作し、自らの文化に関わり続けるための機会や支援が、これからさらに必要だ。不可視化されてきたあらゆる集団と同じように。
私にとって、この経験に関わることは、ろう文化の一部に触れる機会であったというよりも、聴者の身体を前提として築かれてきた社会の規範について、内省する機会を得たことな

のだと思う。聴者の身体を持つことがこれまでの自分の人生にとってどのような意味を持ってきたのか、そしてそのなかにある喜びについても考えることになった。そうした規範と文化の両方を把握しようとすることで、ろう文化と向き合い、創造的に共に関わっていくための手がかりが少し見えてきたように思う。自分が聴者の時間、聴者の身体、そして聴者の文化を体現しているのだと理解することで、ろうの時間、ろうの身体、ろうの文化の奥深い豊かさをほんの少し見ることができるのだと思う。
トークの終わり、私は気づいた。手話で拍手をするのではなく、自然と手を叩いていた自分に。


